当たり前のことを思い出した話
これは全enPiT Advent Calendar 2020 20日目の記事です。
enPiTについては、現役の方々が色々書いてくれてるので割愛します。面倒だからじゃないよ!
どうして私がこの記事を書くのかといえば、私がこれに関わっていたからです。受講生でもなく、教員でもなく、元職員として。マジ異端すぎる。ヤバい。なんでアドベントカレンダー書いてるの。意味わかんない。
さて、何を書こうか迷ったんですが、当たり前のことを思い出した話を書きます。
そもそも私とは
まずはこちらの記事を二本、お読みください。読みました?読みましたね。
chiemi先生の記事に出てくるKさんと、村上くんの記事に出てくるオクラ。これ、私です。私はオクラじゃありませんが。
何者かと言えば、筑波大のenPiT事務職員でした。数年前まで。今も暇があったら筑波大に遊びにいっています。
某印刷会社でブラック労働後、いろいろあって筑波大に拾ってもらって、enPiT担当になって、退職して今に至ります。今はデザイナーとかやってますのでそちらもよろしく。
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さて、そんなわけで2013~2018までenPiT事務をしていたのですが、大学事務よりもだいぶ破天荒なことをすることで有名な人間でした。
っていうか、AdobeCCを使いこなす事務職員が今までいたのだろうか。多分いない。
enPiT、マジ仕事として自由だった
私のやることは【enPiTの会計に関わる事務全般】だったのですけれど、chiemi先生の記事にもあるように、事務全般に対して教員の意見が通りやすいようにする、という偉大な使命もあったので、半分秘書さんみたいな感じで関わっていました。教員と密めなコミュニケーションをとりながら。
合宿の時はTA(アシスタント)の学生さんに直接指示を出したり、一緒に打ち上げ行ったり、先生たちとめっちゃ理由書の理由考えたり、よくわかんないけど分野ワークショップのグッズデザインしたりしてたのです。
給料はともかく、自由にいろんなことができる職場だったので、満足しています。
この職場で得た最大のインプレッションは「何をしても大体死なない*1」というメンタルです。
あと「何を言っても大体死なない*2」も追加。脚注もよろしく。
ブラック職場で結構洗脳されていたので、自分のタスクが終わったら報告してさっさと帰る、とか、給料の交渉はちゃんとする、とか、泣き寝入りしない、とか。そんなあたりまえのことを思い出しました。本当だよ!
エンジニアのみなさんにとっては当たり前だし、今の時代はとても当たり前なことなんだけど、世の中ってそうだったな、ってきちんと思い出させてもらいました。*3
センキュー、って感じです。主にみほらぶ先生とか、きょんさんとか、よたちゃんとか、ちえみ先生とか、mrmt先生とか。もちろん、yudmoくん、ug23くんも!(あと、アシスタントで私の言う事聞いてくれたみんなもー)
(書ききれないけど、私とタッグを組んだOさん、Aさん、Hさん、マダム、Mさん、それと、同じ場所で共に地獄の会計年度を乗り越えたHさん、Kさんにもありがとうしたい!みんな元気でしょうか)
落ち着いたら高円寺でビールしましょ。ビールのおいしさもenPiTで学びました。わあい!
自由な仕事をしたいなって思っている
で、ちょっと自由にやらさせてもらって、結局DTPとかデザインがすきだなーって思いなおして、働き方も自由でいいんだ!って思って、個人事業主しています。
(スキルセットはDTP、日本舞踊、着付け、タロット占い、オタクなので結構多彩)
ただ、土日に日舞の先生、成人式には着付けのバイト、など、いろいろ予定が入るので、まだ日程のコントロールをするには修行が足りないなって感じ。DTPオペレータの求人は大体週5日なので地獄となってしまう……
とりあえず、私は自由を求めて今日もインターネットをうろうろしています。
それではみなさま、ごきげんよう。